04/03/2026
『三月のレシート』
三月の光はやけに白い。
窓から差し込む午後二時の陽射しが、机の上のレシートを無慈悲に照らしている。
男はコーヒーを一口飲んだ。冷めている。
今日何杯目かもわからない。
確定申告。
その四文字が、部屋の空気を重くしていた。
封筒、領収書、通帳のコピー、カード明細。
全部わかっている。やれば終わる。
終われば楽になる。
なのに、体が動かない。
男は天井を見上げた。
「なんでこんなに、やる気って出えへんねやろな……」
独り言が、やけに素直に響いた。
スマホを手に取る。
ニュース。
SNS。
どうでもいい動画。
時間だけが、音もなく削れていく。
――やらなあかんのに。
わかっている。
やらなければいけない理由は、山ほどある。
罰金も怖いし、税務署からの封筒も怖い。
何より、「先延ばしにしてる自分」がいちばん嫌だ。
男は深く息を吐いた。
机の端に、小さなメモがあった。
子どもの落書きだ。
丸い顔と、棒みたいな体。
その横に、たどたどしい字でこう書いてある。
「おしごと がんばって」
男は、思わず笑った。
がんばって。
そんな単純な言葉に、こんなにも効くとは思わなかった。
男はレシートを一枚手に取った。
たった一枚だ。
これを、会計ソフトに入力するだけ。
それだけでいい。
全部やろうとするから、重い。
一枚なら、できる。
カタカタと、キーボードの音が鳴る。
日付。金額。内容。
たったそれだけなのに、妙に達成感があった。
もう一枚。
もう一枚。
気がつけば、机の左側の山が、ほんの少し低くなっている。
男は気づく。
やる気が出たから動けたんじゃない。
動いたから、やる気がついてきただけだ。
三月の光は、少しだけ柔らかくなっていた。
男は背伸びをする。
「……よし」
まだ終わってはいない。
でも、もう逃げていない。
レシートの山は、確実に減っている。
それだけで、今日は十分だ。
キーボードを打つ指が、さっきより軽い。
確定申告は、まだ終わらない。
でも――
男は、もう始めている。
⸻
今まさに追われてるなら、
とりあえずレシート1枚だけ入力してみ。
やる気はあとから来るタイプのやつやからな 😌